From:新井翔平
僕だって悩むことはある 笑
先日友人と食事してた時、そのお連れの人もいて、なぜか僕が「悩みを吐き出す」みたいな時間になった。。。
僕のメルマガ読者のあなたは、僕が常日頃、「共感」はセールスや広告で破壊力のある技術だとお伝えしてますよね。
この時のこの、お連れの女性の対応が、毎度毎度、僕が、話し終わるやいなや、
「わかるわかる〜、それわかります〜」がめっちゃ早い。
断っておくと、バカっぽい感じでは決してない。
知的に見えるし、コーチングやってる人でどこかいそうなタイプ。
物腰は柔らかそうで、姿勢は正しく、動作や仕草に相手を不快にさせるようなところはどこにもない。
ただ、、、
会話の「間」が、妙にせまい。。。
「わかるわかる〜」
「あ〜わかります〜」
「そうですよね〜」
が、
早い。。。
それがしばらく続くと、
なぜだろう、、、
いや、お前に何がわかんねん、と笑
誰も何も悪いことをしてないはずなのに、
なぜか僕は少し残念な気持ちになり始めていた笑
これ、わかります?笑
「わかるわかる〜」は共感じゃない。
自分のエピソードを話したくて、「相手の話しを切る手段」として彼女は「わかるわかる」を使っていた。
何度か繰り返された後、
僕は静かに、
心のシャッターを固く閉ざした。笑
共感って2文字で書くほど簡単ではなくて、
言葉での「wakaru wakaru」
よりも、
時には、
神妙な表情で繰り出す「5秒の沈黙」の方が相手の感情に深く入り込むこともある。
人は自分の悩みこそ、その瞬間だけでも世界で一番深いものだと思いたい。
こんなに悩んでる自分を悲劇のヒロインだと思いたい。
構って欲しい。
「何でそんなに辛い状況でも諦めないでいられるの?」って言って嘘でもいいからヨイショして欲しい。
尊敬の眼差しで見られたい。
だってその瞬間は自分は本当に世界で一番辛い人間なんじゃないかって、その瞬間だけは思っている。
でも、、、
翌朝目覚めたらほとんどの悩みは大したことがない 笑
実際僕もよくある。
その瞬間は深い、マリアナ海溝よりも自分のこの問題は深く暗いと思っているのに、大抵は翌朝思い出すと、しょーもない。
でも、この「深い」と「しょーもない」のものさしは他人には測れない。
奥さんが、「ねぇ〜ママ友の集まりに行くんだけど、このアクセサリー前回と同じだったらどう思われるかな?」と聞いてきた。
男からしたら果てしなくどうでもいい。
唖然とするくらいどうでもいい。
でも、そこで「どうでもいい」は死んでも言っちゃいけない笑
言う以上は死ぬ覚悟が必要だ。
奥さんにとってそれは「深い」悩みなんだから。
(かと言ってここで男は問題解決をするのも良くない。
聞いてくるのに問題を解決して欲しいとは思っていない。
「○○はどう思うの?」
「う〜ん、いいかな〜って思うんだけどなぁ」
「俺もいいと思うよ。似合ってるし。」
「本当?!」
これだけでいい。
僕もめんどくさい時は問題解決しちゃう。アドバイスしちゃう。
すると意味不明なくらい機嫌が悪くなってたりするから女性はよく分からん。)
「想い」を「受け止めている」かどうか。
安易な言葉で
「wakaru wakaru」
で、共感していることは伝わらない。
時に深いため息をつき、
じっと目を見つめ、
相手を案じる表情で、
自分には何が出来るだろう?
どうすればこの人は楽になるんだろう?
何をしてあげられるんだろう?
って、真摯な眼差しで、
暖かな、
慈愛に満ちた眼差しで、
見つめる。
言葉以上に、
伝わる。
言語と非言語。
人と人は「非言語」の方が何倍も多くの情報交換をやりあっている。
相手の重たい悩みに同調することは共感ではない。
カウンセラーが悩みを聞き過ぎて毒気に当てられて、自分もカウンセリングに通うなんてことは笑えない。
ミイラ取りがミイラにと同じ。
自分自身が主体的な「意思」を持って、この人の為に自分は何が出来るんだろう?
って真摯に考え始めることから、相手にとって心地よい
「間」「空気」「声色」「眼差し」「表情」「動作」が生まれ始めるはず。
書きながら思ったこと。
あ、
自分も頑張りますm(_ _ )m
あらい
P.S.
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